えー、もともとの話は
「そんな言い方誰もしない」から、何を主張したいのかについて決め付けるのはどうよ?
これと
子供の話でおけぐわさんに返信
という話でした。
で、これがどうも僕と読み手の一部の人とで話がまーったく噛み合っていないことがあって、いったいどう説明すればよいのかと頭を悩ませていたのです。
それをまさにびしーっと説明してくれた人がいらっしゃいました。
日々の泡:そんな話はしとらんっ
しっぽさんの主張(と私が解釈しているもの)は「他人の言った言葉をつかまえて勝手に内面を想像して決めつけるてのはどうよ?」ということであってそもそもそういう言い方が悪いとか良いとかいうことではなくじゃあどう言えば良かったとかでもなく当然のことながら教育とはどうあるべきかとかいう話とは一切関係無くそれはもうただ単純に「自分が子供の頃やはりそういう言い方をしたがその言葉の意図は元記事の言うようなものではない」ということなわけですよ。
ところが何故かこれに「無知だから教えてもらってるのにナニゴトだ!」とか「子供を甘やかすな!」とかいうコメントがついちゃうのよね。何故「他人の発言の意図を勝手に解釈して決めつけるな」という話からこうなるのかが僕にはさっぱりわからない。
あー、もう僕にこの文章能力というか表現能力がありさえすれば、コメントの人やはてブの人にどれだけ正確に話を伝えられたものかと思うと、目から変な汁が出てくる勢いですよ。
おけぐわさんのように、ブログで書いてる人にはトラックバックで教えようがあるものの、はてブやコメントの人って2度と見ない人もいるわけで、その人との貴重な一期一会をムダにしたと思うとやるせないところですねー。
まあ詳しくは元記事見てください。
これ見て気づいたんですが、例えばおけぐわさんに対しても僕は「そんな話はしてないし、知らん」と言ってしまえばいいものを、わざわざ相手の土俵に上がりにいって、その話の場合僕の考えはこうだなぁとか言い出してしまうものだから、話はさらにややこしくなるんじゃないかと思った。
わざわざ言及してくれるのだからひとつずつ返すべきなんだろうなと思ってしまうところが僕のいけないところなんだろうか。
ちなみにおかぐわさんについて今ひとつ思ったのは
しかし子供が実際には「そんな言い方誰もしないよ」と、かなり失礼な言い方をしてしまうことで次の組み合わせになってしまっています。
子供が何を考えているかを度外視すれば、「そんな言い方誰もしない!」なんて人を馬鹿にした口調で言われて「おまえがおかしい」と言われてると感じない人はいないはずです。ここで選択されているのは手段2Aなんです。
ここ、おけぐわさんは前提として「そんな言い方誰もしないよ」が失礼な言葉だと思っているようなのですが、僕にはまったくそうは思えず、ここがすれ違いの原因なんじゃないでしょうか?
しかも子供がその効果を把握して発言している、とも言っておられるように思えるんですが、僕にはそうは思えないのですけど・・・。
子供が「これを言ったら相手が納得するからこういう発言にしよう」とかわざわざ考えてますかね?いや、するかもしれませんけど、発言からそれを推理できない限りはそう決められないはずでは・・・。
僕としては子供が相手を馬鹿にしている、と思うからこそ、この発言が失礼な言葉に思えるのだ、と思ったのですが、どうやらおけぐわさんにしてみれば、まずこの言葉自体が失礼であって(しかもそれを子供が理解していて)、そこから子供が相手を馬鹿にしていると判断できると語っているんですが、これ、僕にしてみれば凄くトートロジーに思えるのは何の差なのだろうなぁと悩み中です。
ってうわ、また相手の土俵に・・・。すいません、この部分は余計話をややこしくするだけかも。
僕の主張の殆どは上の日々の泡さんのところ読んでいただければわかりますのでお願いします。
っていうかおけぐわさんは分かっているんだろうと思うのだけど、僕が余計な話を付け足すからややこしくなるのかな。
で、ちょっと気づいたんですが
んー。切り分け能力の多寡ということかな。「この話について子供の態度がどうだとか教育はどうあるべきとか色々あるが『それはそれとして』他人の発言の意図を勝手に決めつけるのはいかんだろ」つっても切り分けが出来んのだろうな。体験的には何かの約束事がある時に寝坊して遅刻した時なんかにこういう流れになるな。相手が「大した約束じゃないと思ってたから寝坊とかするんだ」とか言って「そんなことは思ってない」ったら「じゃあ寝坊しても良いのか!」とか言われるという…もう理論も何もあったもんじゃない話なわけだが。一部分でも否定すると全否定したことになってしまうというこの感覚はひょっとして結構大勢のひとに共有されてる感覚なんだろうか。
これ、僕もよく思うことで、今回みたいに引っかかる原因だったりするんです。
例えばとある殺人犯の刑が、現在の判例から見ても妙に重い、この場合はもう少し軽いものが妥当じゃないのか?という話をしたときに「おまえは被害者の気持ちを考えないのか!」とか「犯罪者の味方をするのか」とか言われるときに。あれ?なんかちょっと違うかな。
まあ、とにかく似たような場合はあって、こっちの感覚からすると、何でその話が出てくるの?という感じでまず混乱して説明が遅れて、そのまま泥沼、みたいなことがあるわけです。
別のブログでも見かけました。
で、日々の泡さんの書き手のたけぽんさん(写真が凄い)はプログラマじゃないですか。
僕も、まあプログラマではないのだけど、そっち系の人間で、この前見かけた似たような問題で揉めてた別の人のブログの人も確かプログラマ。
ネットのブロッガーのプログラマ率なんてかなり高いので、3つの要素だけで言うのもあれだけど、切り分け能力ってプログラマ特有のものなのかな?と思ってみる。
ほら、PC初心者の人が質問するとき、自分がやりたいことについて何でもかんでも聞いてしまって、おまえまず起こった問題の切り分けをしろよ・・・とか思ってしまうのだけれど、それと同じことなんじゃないだろうか?
プログラマとかシステム屋系の人、あと多分研究者とかは、仕事の最中に問題が起こると、その問題を別の部分から隔離することで特定するという作業をよくするのだけど、この思考がそのまま理論の思考に影響を与えるのか、もしくはそれが得意だからそういう仕事に就くことになるのか。
拡大すると理系だの文系だのの話になるけども、なかなか興味深い話だなぁと思った。
(PGの話が一般人にわけわからん原因にもなるか?)
コメント
1181 投稿者: trickstar_os (2007年01月29日 03:08)
えーと、コメントしたときは返信が気になってしまうもので再登場です。。。
しっぽさんのおっしゃりたいことはわからなくもないのですが、やっぱり問題の正当性が大事なんじゃないかと思っている次第です。
例えば、私が「そんな言い方誰もしない」といわれたら、
「『誰も』、じゃなくて『私は』でしょう。もし、あなたがこれまでその表現を一片たりとも目にしたことも耳にしたこともないとしても、それはあなたにとっての事でしかなく、『誰も』にそれが当てはまるという根拠はないでしょう。現に、正答率は0%(※)ではないのだから。」
こんな感じで返すと思います。※の部分が本当に0%だったら、出題者のミスであり、「そんな言い方誰もしない」という主張も無根拠ではないですね。
元記事でも正答率は0%とは言っていませんから(できる子はできる)、「そんな言い方誰もしない」という主張に根拠がありません。
繰り返しますが、自分が知らないということからは、自分が知らないということしかわかりません。わからないのに『誰も知らない』と言ってしまうことは良くないことですから、注意される・するべきだと私は思います。
1182 投稿者: しっぽ ◆fdGP2uSVfg (2007年01月29日 15:08)
「そんな言い方誰もしない」という主張に根拠があるとか無いとか、
「そんな言い方誰もしない」という主張に注意される・するべきだとかどうとか、
という話はまったくしておりませんので
このコメント欄で反論されるのは不適切に思います。
上記引用ブログを参考にしてください。
もしそこを論じたい場合はご自身でブログで語るのが良いかと思います。
1184 投稿者: たけぽん (2007年01月30日 01:08)
トラバどもです。書きながらだんだん「どんだけ書いてもわかるひとだけしかわかってくれんのではないか」と思いつつアレコレ工夫してる(つもりの)うちに何やらグダグダになった気がしてたんですが…
プログラマ的思考というのは考えてなかったんですが成る程あるかもな〜と思いました。まあ何もかも切り分ける必要は無いわけですが「チミそりゃ論点がごっちゃになっとるよ!」てなことを言いたくなるようなことで批判を受けるというのは困りますよね。
何故言ってないことを(恐らく割と多くのひとが)言ったという風に受け取ってしまうのかについてはもうちょい考えてみたいとこです。つか対処方法が知りたい…
>犯罪者の味方をするのか
なんだか非常に実感できる例です。
1185 投稿者: しっぽ ◆fdGP2uSVfg (2007年01月30日 14:07)
>何やらグダグダになった気がしてたんですが
ですよねー、なんか難しいものです。
>言ったという風に受け取ってしまうのかについて
論理演算あたりの頭の使い道だと思うのですがどうでしょうか?
「女性に持てるために顔は重要だと思う」
「それは違う。顔よりも性格のほうが重要だろ?」
というやり取りに、違和感を覚えるのか覚えないかといったところで人によって大きな差があるように思います。
>はてブ返信
>trickstar_osさん
いやもう、さすがに勘弁してください。
1201 投稿者: do (2007年02月03日 12:48)
私の基本的な考え方については
元々のエントリーの方に書かせていただきましたので
こちらではちょっとくだけて。
まず上には「誰も言わない」ということについては根拠が無いと書かれていま
すが、私は子どもの言うことに根拠は無いとは断定できません。子どもが言っ
ているのは「誰も言わない」であって、「誰も書かない」ではありません。例
えば私が中学生のときにも慣用句のテストはありましたが、満点をとりながら
友だちにはこんな言葉誰も使わないよねーっと言う嫌な優等生がいたものです。
だからくだんの子どもの「誰も言わない」というのは、大人用に翻訳すれば、
「どうして役に立たないことを勉強するの?」と言っているのと同じだと私は
理解しています。くだんの先生のブログの場合、子どもにとってみれば「お前
は役立たずだ」というレッテルを貼られているのと同じです。それに対し、子
どもが「役に立たなくならないために役に立たない勉強をしなくてはいけない
のは如何?」と返しているように見えます。私から見る限り子どもの方が論理
的です。なぜなら、ブログの主はそれに対して「実はお前の知らない世界があ
る」と何やら子どもにとってアヤしい言葉を持ち出すからです。
この方法が危険なのは、よほど説明や態度に注意しないと「あ、先生逃げてい
る」と思われることです。こう思われてしまうと、真っ先に態度に現わすのは
実はこの不正解の生徒ではありません。ブログの先生の場合は不正解の生徒し
か目に入っていないのかもしれませんが、態度や行動に現わすのはこれを聞い
た優等生の方です。子どもたちのリーダシップをとりながら効率の良い方法で
先生を追いつめていきます。叱ること自体は否定しませんが、プロだったらこ
のような危険性があることは常に頭に置かなければなりません。
まあブログもグチを書いているくらいであれば先生も大変なんだな、という程
度で大目に見てあげれば良いんじゃないかと思います。実際私は上のことしか
知りませんが、他にも色々あって非常に大変そうです。今や親も味方になって
くれないですし。