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2009年03月15日

 サンタクロースは疑似科学このエントリーを含むはてなブックマーク

元ネタ:大学教授のぶっちゃけ話: トンデモ本


娘:嘘ばっかりついてると閻魔様に舌を抜かれるんだよ。
 
父:ウソや。

娘:一生懸命やってると、いことが起きるんだよ。
 
父:ウソや。
 
娘:○○君のおばあちゃん死んじゃったけど、天国で○○君のこと見守ってくれてるんだって。
 
父:ウソや。
 
父:あんな〜、もしホンマやったら、犯罪者なんかいなくなる。
そんなん見たことも聞いたこともないやろ。
 
それに、証拠はあるか?理論的に説明できるか?
でけへんやろ。
 
娘:う〜ん、そうだね。
 

とにかく、ウチの娘には、証拠のないもの、証明できないものは鵜呑みにするな、と教えてある。
 
昨夜のテレビ番組でも、サンタクロースを取り上げてて、「テレビで放送されることは本当だから、サンタクロースはいるんだ。」と、言ってる娘に、
 
「サンタクロースは一人じゃ、世界中のプレゼントを用意できないから、収集係とか財務班とか、複数いるはずで、しかもそのプレゼントをどこからか買ってるはずや。いままで、サンタクロースの大量発注書は見つかったか?いままで、会社や団体として登録されとるか?いるっていう証拠はないやろ。」
 
「けどな、いないっていう証拠もない。そやから、どちらを信じることもない。人の意見に左右されずに自分で判断できる人間になれ。」
  
と言ってやった。
 

コメント

6177   投稿者: しっぽ (2009年03月15日 22:56)

私たちは、水からの伝言とサンタクロースでは違う、と思っている。
その理由は何から来るものなのだろうか?

6178   投稿者: Anonymous (2009年03月15日 23:52)

サンタクロースをいるかのように見せかけて子供を騙す意味が分からない。
最初から、恵まれない子供たちにプレゼントを贈る風習なんだよと教えればいいのに。

6179   投稿者: phantom (2009年03月16日 11:37)

もしも、サンタクロースの不在が、
明確になったとしても
(「現状でも、その不在は明確である」
という意見は置いといて)、
サンタの実在を信じる人々は、
打撃を受けない気がする。

一方、もしも、水伝が偽であることが
明確になったら、サンマークとかが、
青筋立てて喚きだしそうな気がする。

なんか「せっぱつまった」感が、
胡散臭さを感じさせるような。

6180   投稿者: しっぽ (2009年03月16日 13:54)

では、サンタクロースの存在に対して断固とした態度で青筋を立てる人物がいたら、サンタクロースは疑似科学となり得るのか?
逆に水伝に関して、サンマークが大騒ぎをしなければ、これは疑似科学とはならないのだろうか?

6181   投稿者: BlogPetの麦茶 (2009年03月17日 14:58)

しっぽがデモしたの?

6182   投稿者: Anonymous (2009年03月17日 18:32)

科学ぽいこと喋ってるけど、科学的に理屈が合わないものを疑似科学って呼ぶのでは?

サンタではうまく説明できんが、
一生懸命やると脳内からホルモンが云々、ホルモンはその人特有のものであり、呼気から排出され、周りの人が吸い込むことで云々。マウスにホルモンを与えて実験したら云々ってやると、疑似科学ぽくなる。

さらに、「あなたの一生懸命ホルモン調合しますっ」とかいうビジネスが始まると、胡散臭さ爆発だけど、まあそれは疑似科学批判に関する二次的なお話な訳で。

ただ、>>6177に対する返事としては>>6179が正解だと思うよ。胡散臭いかどうかが、「私たち」が違いを感じる点。

6183   投稿者: phantom (2009年03月18日 20:36)

>6180
例えばの話、
「サンタクロースは実在する!」
「あなただけの許にサンタが訪れる!
その秘密は、この本に!!」
みたいなアオリ方をすれば、
サンタ話も、のどかなフォークロアから、
似非科学へ一歩進んだ感がしませんか?

でもって、こんな事言い出す人は、
「サンタなんて居ないよ」なんて言ったら、
青筋立てて、怒り出しそうだし。

逆に、水伝だって、本とか商売抜きで、
「感謝の言葉を書いた容器の水は、
そうでない場合に比べ、30~35%増しで、
整った形の結晶を作るんだそうだ。
実は、実験繰り返して、
統計取ってるグループがいるらしい」
みたいなノリで言われたら、
似非科学っぽさが、減るみたいな?

正直、私だってこんな風に語られたら、
真に受けるかもしれんし。

6184   投稿者: しっぽ (2009年03月19日 15:02)

>>6182さんと、>>6180 phantomさんの
疑似科学っぽさの判定が、一見逆に見えるのは興味深いですね。

胡散臭いかどうか、えせ科学っぽさがあるかどうかは、私たちが「これは違う」と思うことそのものなので、問題提起の言い方を変えたのみになってしまっているのではないでしょうか?

私も含め、おそらくコメントを返してくれた方々も、直観的に疑似科学を見分けることができるのだと思います。
それが、胡散臭さであり、っぽさであります。
しかし、それを同様に見分けられない人たちもいます。
その人たちを説得する、もしくは自力で見分けられるようにするには、私たちが感じる直感をもっと理論的に方法論化しなければならないのではないでしょうか。
そして同時に、自分の直感の判断が常に正しいかどうかという危機感も持つべきです。
きっと疑似科学を信じている人もちゃんと胡散臭さで判断をしていると思うのです。胡散臭さの判断位置が違うだけで。
私は、私の脳が年をとっても同じ判断を下すことができるとは思っていないので、将来いわゆる老害といいますか、疑似科学を推奨してしまう人間になってしまわないか心配していますし、それはどの人に対しても言えることではないでしょうか。

また、疑似科学の問題には2つの軸があり、
ひとつは科学と疑似科学の境界線
もうひとつは道徳と疑似科学の境界線

水伝や野菜に音楽を聞かせる話は、道徳との境界線のほうが問題になっており、こちらは科学より区切ることが難しいのです。
今回のエントリではこの、道徳との境界線について考えてもらいたいな、というものです。

植物を育てることは子供に良い。
森に囲まれていると心が豊かになる。
植物を育てることで、命に対して優しくなる。
森の緑は心を落ち着かせる効果がある。
植物も痛い思いをするんだから無闇に傷をつけちゃダメだよ?
あの木はずっと学校を見守っているの。
愛情をこめて野菜を育てるとおいしくなるの。
話しかけながら丁寧に育ててあげてね。
野菜は心が通じるの。
ありがとうって言っていると野菜がおいしくなるよ。

最後のはいわゆる水伝ですが、
さて、どれが道徳で、どれが疑似科学で、どこまで学校で言っていいことで、その判断基準は何なのでしょう・・・。
そして、それは万人と同じ判断となるのでしょうか?
私にはとても判別しきる自信がありません。

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