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2009年08月06日

 「無断フォロー禁止」よりも「フォローはご自由に」が問題じゃないのかこのエントリーを含むはてなブックマーク

先日、無断フォロー禁止がbuzztterに上がったのが話題になっていた。
実際に無断フォロー禁止と書いている人がいるかどうかは分からなかったけども、twitterでの反応は比較的否定的ではあった。
みんな、フォロー自由の文化で、うすーい繋がりが魅力なので、そんなmixiみたいな、Yahoo!みたいな、ドロドロした関係を持ち込まないでよ!っていうのが大きいんだろうね。
僕も、フォローのためのマナーとか、人の気持ちを考えた発言とか、相互ふぁぼりんことか、マジ勘弁。

ただ、「無断フォロー禁止」よりも「フォローはご自由に」という発言やプロフィールの方が問題ではないかなと思うのだけど、あまりそのことは誰も言っていなかったので、書いておく。

「フォローはご自由に」という態度の問題点は、まず、twitterの自由性を否定することにある。
つまり、「無断フォロー禁止」も「フォローはご自由に」も、twitterのフォローが承認制、許可制、であるという前提に立った発言だ。
人に対して「息をしても良いです。」と言い放つのと同じ。

人によっては「元々自由なんだから、わざわざ書く必要ないよ」という説明をするが、ちょっとそれだけでは収まらない問題がある。
「フォローはご自由に」がもっと問題なのは他への影響だ。
「無断フォロー禁止」なら、それを書いた人を「禁止」で、他人を「許可」とする前提なので、
別に「へぇ、そういう人もいるんだ」という、個別の問題で解決するので、大したこと無いのだけど、
「フォローはご自由に」というのは暗黙的に、それを書いた人を「許可」で、書いていない人を「禁止」もしくは「無許可」として扱う文章だ。
(追記:書くまでもないかもしれないけど、これは当然、書き手がどう思っているかではなく、読み手がどう捉えられるか、ですよ?)

具体的に言えば、始めたばかりのtwitterユーザーが「フォローはご自由に」という文章を読んで、twitterのフォロー文化を、口頭での許可制、と勘違いするのが危ない。
しいては、自身のプロフィールに「フォローはご自由に」の文言が無いのに、フォローしてきた人に「勝手にフォローするなんて失礼じゃないですか!」「覗き見しないでください!」という喧嘩を起こす危険性がある。
鍵つきにしても同じことで、「鍵つきユーザーにフォロー申請するなんて、なんという厚顔無恥!」という話になりかねない。
こういうことが起こりえるのは、もう、「リンクフリー」文化で実証されている。

何よりも問題なのは、既に「フォローはご自由に」の数がハンパなく多いこと。
また、「フォローはご自由に」は伝染するっていうこと。
日本人は一応書いておこう精神が強くて、友人の半数が「フォローはご自由に」って書いていたら、「あ、私も書いておこう。マナーとして」となってしまう。
実際、今「フォローはご自由に」と書いている人も、一応という気持ちなのだろう。

「フォローはご自由に」に代わる言い回しで、何か良いものが無いかなと考えている。
「twitterではフォローは自由です」とか。
でもこれも、「(私の)twitterではフォローは自由です」と読解されちゃうかな。
何かいいの無い?

 

pixivやmixiからtwitterに来た人は元々「リンクフリー」文化側なので、この傾向が強い。
みんな、twitterはもっとサバサバした場所なんだよ。
お互いに監視しあったり、誰と誰が仲良くて、誰と誰が他人なんていう、近所づきあいのような、ドロドロした文化は君も嫌でしょ?
誰も得をしない文化なんだから、さっさと取り払っちゃおうよ。

えぇ!?そういう文化が好き?・・・そっか。それはごめん。