ロテ職人の臨床心理学的Blog: 「意見を撤回すること」についてさらに考えてみる
というエントリーからトラックバックを頂きました。
分からない人に、今までの経緯はこんな感じです。
しっぽのブログ: 意見を撤回すること
ロテ職人の臨床心理学的Blog: 議論において「理由もなく」意見を撤回するのはどうかと思う。個人的には。
しっぽのブログ: 「議論において「理由もなく」意見を撤回するのはどうかと思う。個人的には。」への返信
ロテ職人の臨床心理学的Blog: 「意見を撤回すること」についてさらに考えてみる
あ、ちなみにですね、ロテ職人の臨床心理学的Blog様へのトラックバックエラーは、
HTTP error: 403 Throttled だったんです。
なので、多分連続投稿規制というやつになりますけど、これって初回から出ちゃったんですよね。
Throttling 機能あたりの設定を直せばよくなるかもしれません。
SPAMに弱くなっちゃうかもしれませんけど。
さて、前のエントリーから随分と時間が空いてしまいました。
重ね重ね申し訳なく思います。
ここ数日、このエントリの内容に関してはかなり考えていました。
何を考えていたかと言いますと、私の言いたいことの趣旨は既に固まってはいるものの、それをどう表現したらよいか、ということについてでした。
何故考えていたかと言いますと、私は今までの経験から、この流れは非常に悪い結果に繋がるのではと感じていたからです。
私の言う議論においての悪い結果というのは、もちろん双方がお互いの意見に納得できず、そのまま議論が終了してしまうという状態のことです。(悲しいことに、非常に多いです)
当然ながら、それは議論に参加する者の所為であり、故に私の文章能力、コミュニケーション能力、理論力、理解力の無さが招く結果であると日ごろから反省しきりでありました。
この文章は、何度も書き直していまして、それは私の文章能力がまだ足りぬということに他なりません。
ですから、文として伝わりにくいところ多々あると思いますが、ご容赦いただきつつ不足のある部分については遠慮なくご質問いただきたいと思っています。
また、同時にかなりストレートな表現により、断定を繰り返す文章となります。
ロテ職人の臨床心理学的Blog様が、そういった表現の細部で心証を大きく変える方でないことを期待してのことですが、もし気分を害することがありましたら、ご指摘いただければと思います。
それでは本題に入りますが、今回のこの議論、途中から論点を大きく違えているのではないかと主張いたします。
まず、最初の「意見を撤回すること」の記事において、私の主張は
自分の意見が間違っていると思ったら、撤回するべきだ
であります。
しっぽのブログ: 意見を撤回することより、
議論という観点から見れば、自分自身半ば間違ってるかな?と思っている意見
という表現から
ですから、意見は撤回しましょう。
まで2行の間が空いてしまっているため、多少分かりにくくはなりますが、しかしここで私が書いている「意見の撤回」が、決して長いものに巻かれろ、正しいと思っても捻じ曲げろ、という意味でないことは、普通に文章を読解していただければ分かっていただけるものと思います。
そのさらに2行下にも
どの理論が正しいのかを考えましょう。
とあるので、さすがにこれは明確だと思っております。
少なくとも、自分の意見が間違っていたと思ったら、それを伝えることは理由を伝えることより重要なことだと思います。
そうでなければ、議論から何も言わずに逃げ出すか、間違っていると思っている意見を押し通すのどちらかになり、これこそ不誠実で議論を破綻させる行為であると思います。
これに対し、ロテ職人の臨床心理学的Blog様はロテ職人の臨床心理学的Blog: 議論において「理由もなく」意見を撤回するのはどうかと思う。個人的には。にて以下のように主張されます。
「意見を撤回する」というのは必ずしもオススメはできないと思うのです。
まずこれを反論とするには、私が意見の撤回を必ずオススメする、と意図していることが前提となりますが、私の文章中に明記は無いものの、殆どそういう意図で書いた文章であるので、間違っておりません。
(この必ずというのは、当然ながら極論を除いたものであります。)
ですから、この時点でこの議論の論点は以下となります。
自分の意見が間違っていると思ったら、必ず撤回するべきか、そうでないか。
この文章以後、話は撤回した理由を相手に述べることの重要性についての論になります。
私はこの時、最後まで読ませていただいたものの、どうして理由を相手に述べることの重要性が、意見を撤回すべきでない場合があることに繋がるのか理解できませんでした。
理由の説明は、意見を撤回した後の話であります。
意見の撤回がまずあって、その後、場合わけとして理由を説明する場合と説明しない場合について論じられるものであり、遡って影響を及ぼさないではないかと思ったわけです。
もちろん、理由の説明は非常に大切で、怠れば相手を不愉快にするものであります。
しかし、それは理由を説明するべきだという話であって、例えば「理由を説明できないくらいなら自分で間違ってると思う意見でも撤回するな」とはならないのではないでしょうか。
ここで、私の非常に悪い癖が出てしまいました。
とりあえず分からないことを後回しにしてしまったのですね。
そして本来論点とするべきではない(論点とするなら別に議論を設けるべきであった)「理由を説明する責任はどの程度か?」についての反論を混ぜ込んでしまったわけです。
これは議論を泥沼化させる悪手でした。
もちろん、「理由を説明する責任はどの程度か?」についての議論は大いに歓迎いたします。
非常に興味深い議題であります。
しかし、物事には順序がありました。
まず、論点を整理するにあたって、今までの私の書きました「理由を説明する責任の度合い」についての反論・意見を一時的に一切取り下げます。
(もちろん、望まれるのであれば別枠で議論いたします。こちらに関しても思うことは沢山あります。)
そして次に以下を提示します。
「理由を説明する責任」は、「自分の意見が間違っていると思ったら、必ず撤回するべきか、そうでないか」という論点の結論に関係の無い話である。
補足させていただければ、例えば間違った意見を撤回する重要度が1であり、その理由を説明する重要度がXあったとしても、理由を説明するという行為は意見を撤回した後にのみ行えるものであります。
ですから、意見を撤回しなければ0、意見を撤回すれば1もしくは1+Xとなり、理由を説明する重要性がプラスである限り、必ず意見は撤回すべきとの結論になります。
(この時、意見のみ撤回した時に発生する相手側の不快感が、間違った意見に固執するデメリットを上回ると主張するならば(つまり、理論と議論の正しさより、感情を優先するべきであるとすれば)意見を撤回すべきではない場合が産まれますが、私は間違った意見を主張し続ける方がよろしくないと思うので、そうはなりません。)
よって、上記の結論に至るわけです。
ロテ職人の臨床心理学的Blog様が、「理由を説明する責任」を根拠として扱っている以上、まずこの提示の真偽を論点とすることは避けられないと思われます。
二度手間になってしまうかもしれませんが、改めてこの太文字部分の提示についてご意見ください。
ところで、話が前後してしまいますが、ロテ職人の臨床心理学的Blog: 「意見を撤回すること」についてさらに考えてみるにおいて、以下の文章があります。
「意見が間違っていると思ったならば必ず撤回しましょう。その際必ず撤回の理由も述べましょう」
これは、ロテ職人の臨床心理学的Blog: 議論において「理由もなく」意見を撤回するのはどうかと思う。個人的には。における以下の文章と主張が違っています。
「意見を撤回する」というのは必ずしもオススメはできないと思うのです。
もちろん、前者は私の書いた文章をもじったものであるため、コピペの際に一部をそのまま使ってしまい、意見とは違うものを書いてしまった可能性が考えられます。
ここまでの文章も、そういう前提で書かれております。
しかし、もし「意見が間違っていると思ったならば必ず撤回しましょう。」とロテ職人の臨床心理学的Blog様の意見が変化しているのだとしたら、もう最初の議題はいつの間にか結論がついてしまっていることになります。
(とても途中で意見が変わったような雰囲気を受けないので、単純な表記の問題だとは思いますが。)
ここら辺も、非常に気になるので、どうか念のためお答えいただけたらと思います。
コメント
5329 投稿者: ロテ職人 (2008年09月22日 18:25)
>しっぽさん
返信遅れてしまってすみません。
自分の中ではある程度結論が出ているのに加え
忙しい状況が続いていたためになかなかこちらへの書き込みができませんでした。
お詫び申し上げます。
ちなみにこのコメント投稿時点での私の意見は
「議論において意見を撤回することは必要ない」で固まっております。
ただ、今後の展開によってはその意見も撤回される可能性はあるかもしれません。
さて
> 「理由を説明する責任」は、「自分の意見が間違っていると思ったら、必ず撤回するべきか、そうでないか」という
> 論点の結論に関係の無い話である。
「責任」という言葉の意味はよくわからないのですが
私としては「自分の意見が間違っていると思ったら、必ず撤回すべき」という命題が
議論の中で意味を持つためには「理由を説明する」必要があると思っております。
> 例えば間違った意見を撤回する重要度が1であり、
> その理由を説明する重要度がXあったとしても、
> 理由を説明するという行為は意見を撤回した後にのみ行えるものであります。
> ですから、意見を撤回しなければ0、意見を撤回すれば1もしくは1+Xとなり、
> 理由を説明する重要性がプラスである限り、必ず意見は撤回すべきとの結論になります。
そもそもこの「重要度の足し算」がどこから来たものなのか、今ひとつよくわかりませんが
意見を撤回することは理由を説明して初めて意味を持つものだと私は考えております。
しっぽさんは以前このようにおっしゃっておりました。
> 人間は、方向性や思想、定義によっては
> 具体的行動を起こしにくいという特徴があります。
> 頭では分かっていても行動に結び付かないことが多いのですね。
私もそう思います…というか心理学の研究ではその手の知見が山のようにあります。
そしてこれは「行動」に限った話ではなく、「思考」にも言えるでしょう。
…と考えた時に、一番目の太文字部分
> 自分の意見が間違っていると思ったら、必ず撤回するべきか、そうでないか。
この「自分の意見が間違っていると思ったら」の部分、自分がそう思った時に
本当にその意見は間違っているのか?というところが問題なのです。
以下は私の主張を繰り返すことになりますが…
以前、しっぽさんが書かれた
> 議論は理由を説明すべきですが、時に議論が下手で、時に悔しくて、
> 時に面倒になって、理由を述べられない方がいらっしゃいます。
> ただ、そういうときであっても、自身の疑う意見を正しいのだと思い込み、
> 自己正当化に走ってしまうことは避けられるべきだと思います。
これは全くその通りです。
「自分の意見は正しい」という点に固執し、自己正当化に走ってしまっては
議論は成立しません。
その際には他者が疑問に思う点を質問することで(そしてそれに答えられないことで)
いつの間にか自己正当化をしてしまっていることに気づくことはあるでしょう。
同じように、議論が下手だったり、悔しかったり、面倒になったりして
意見を撤回する際に、いつの間にか「自分の意見は間違っているのだ」
「だから意見を撤回するのだ」と自己欺瞞に陥っている可能性もあるわけです。
そうした自己欺瞞による意見の撤回を回避するために
意見を撤回する理由を述べることは有効であり、
その理由が論理的に破綻のない形で説明されて初めて
「自分の意見は間違っているのだ」ということが明確になるのではないでしょうか。
…といったところで、しっぽさんのご意見に対する私の反論は
成立しておりますでしょうか?
ご不明の点等ありましたら、ご指摘ください。
できれば、私の発言のどの点に問題があるか
具体的にご指摘いただけると大変ありがたいです。