しっぽのブログ: 吉良吉影問題(フォビア問題)と常識の視点について。
について、友人に見せたところ
「これはメタ議論だよね?」と指摘された。
なるほど、結論や意見が全て「こう議論すべき」というもので
実際僕がどう思っているかは辛うじて
ちなみに僕としては性癖に対する差別はその質の犯罪率が異様に高いか、本人に犯罪暦が無い限りは不当に不利益を蒙るべきではない、と思っている。
このあたりだけか。
はてぶ(エントリの下のほうに表示されてるやつ)でも、「でも特に結論は無い」とか書かれているわけで。
でも、こういうのって必要じゃないかな?と思うのだけど。
メタ議論が敬遠されるのって、議論の結論を出すべき議論でメタ議論が始まると、それは議論の趣旨に反しているわけだし、堂々巡りになるからいけないのであって
一般議論について、こういう視点はどうよっていう提案なら問題ないように思うのだけども。
逆言うとそういう提案記事を書いている中で自分の意見を半分混ぜると、その議論の仕方への反論とその結論への反論でごっちゃになるから、議論とか思考の仕方を論じるエントリでは極力結論を記述しないほうがよいのではないかな?とか思うのだけど、どうなんだろうねぇ。
実際、差別の議論でかみ合わないのって、こういう相対的な思想の部分だし、そこを指摘した上で、じゃあ高度な「どこまでの差別撤廃が社会が許容できるレベルか」については知識人にお任せすればいいのではないかなぁと思います。
言うなれば、上のエントリは、ブログの差別について考える人の記事を読むための攻略本っていうかそんな感じです。はい。