カウンターメディアってのは弱すぎて、既存のメディアには勝てず、民衆の心も大きく動かせず・・・
しかし、そのカウンターメディアが強くなって社会を動かせるようになってくると
結局それはメディアの仲間入りになってしまうわけだよね。
2ちゃんねるや痛いニュース(ノ∀`)は、もはやメディアだと思う。踊らされない方がいい。
いやあ、分かってたけども、テレホタイムとか言ってた頃に2ちゃんねるにやってきた(つまり2ちゃんねる先住民ではなくその次に来たあたりの)純粋無垢にネットの可能性を信じていた僕らの世代にとっては悲しいものですよ。
しかも踊らされてたことを指摘すると
「俺たちは分かってて踊らされてたんですよ~。えー、何そんなマジになっちゃって、ネタですよ、ネタ。いやだなぁ(笑)全力で釣りとネタでしょ?」
みたいに返答するからこれは嫌だ。
お前ら、「作ったが捏造ではない」って言ってるテレビ局と同じレベルだぞ。
他に被害が出る釣りを人は「扇動」と呼ぶ。
あとこの話とは無関係だけど、TBS関係で
「テレビなんて信じるほうが馬鹿」っていうのと「テレビで嘘流すのは良くないだろ」っていう議論見かけるけど
「自転車にカギかけないで盗まれるほうが悪い」「普通に考えて自転車盗むほうが悪い」って話と同じくらい不毛だ。
自転車にカギかけたほうがいいに決まってるし、でもカギの無い自転車盗んでいいわけじゃないわけで。
テレビを信じないほうが良いに越したことは無いけど、それでテレビに嘘流していいって話にならんし、
テレビに本当のことが流れてても、確証が無いなら疑うべきで、
2つの要素は全然別の話だろうと。
少なくともテレビ信じてる人が大半な社会なんだからさ。
なんで片方に落ち度があるともう片方の落ち度が消えるっていう二分法にころっとやられちゃう人が多いのかわからん。
コメント
1447 投稿者: wosa (2007年03月16日 15:02)
>なんで片方に落ち度があるともう片方の落ち度が消えるっていう二分法にころっとやられちゃう人が多いのかわからん
こうしてわかりやすく説明されると、目一杯コロンブスのタマゴよろしく、膝を叩く訳なのです。
しかしこういう流れの議論になっちゃうケースって実は多いように感じる。
自分の主義主張が「正しい」(勝つ)という所に固執するが故に陥る落とし穴なのではないかと思ってる。
他者の意見を疑うという行為は、自分の考え方にも常に疑問を持つ事に繋がるのかな、と書いてて気がついた。(よくよく考えると当たり前かな)
1464 投稿者: ぬ (2007年03月18日 00:45)
痛いニュース(ノ∀`)が偏向的な記事ばっかり出してるのは確かに以前から気になってました。
ミイラ取りがミイラに、ってやつなんでしょうかね。悲しいです。
1465 投稿者: aaa (2007年03月18日 04:24)
自転車を盗むやつがいるから
鍵をつけなくてはいけないわけだから
盗むやつが悪いと思う自分は駄目だなぁ
メディアが負けるのは
誰もメディアを信じなくなった時だね
メディアを信じないわけだから
勿論他人なんて信用できない
疑心暗鬼の時代
それはそれで嫌だ
1466 投稿者: Anonymous (2007年03月18日 19:55)
現行メディアが信用ならないことに気が付いてもなお、ネットは簡単に信用してしまう人が多いようですね。
テレビが怪しいと分かった時点で、当然に2ちゃんねるも疑わなければならないものだと思っていましたが…
何事も疑ってかかるというのは、信じるものを欲する生き物には難儀であるということでしょうか。
痛いニュース(ノ∀`)だけを否定するわけではないですが、
あそこで扱われるようなニュース系のスレッドを見ていると、まるでテレビか新聞でも見ているような気分です。
最も分かりやすいのはスレタイでしょうか。新聞・雑誌の「見出し」そのものですよね。
それらと同じ危険性をもっているといって良いと思います。
痛いニュース等のまとめサイトではレスの抽出という作業が加わるため、
ある意図に基づき、巧妙に抽出・編集をすれば印象操作は容易でしょう。
痛いニュースがそうした意図をもって編集されているかはわかりかねますが、
書き込みを見る限りでは、そういう可能性を理解している利用者はあまりいないように感じます。
1467 投稿者: のあ (2007年03月18日 20:32)
2ちゃんねる系ブログは数あるレスの中から特定のレスだけピックアップしているわけですから情報操作していると見た方がいいんですよね。
「痛いニュース」なんかはいかにも青字でいかにも情報操作してるな、という印象です。
1468 投稿者: しっぽ ◆fdGP2uSVfg (2007年03月18日 22:01)
念のため言いますが、個人的には痛いニュース作者が世論を操作するために情報操作をしているだとか
何らかの陰謀があるだとか、そういう意見には賛成できません。
つまるところ、世論を操作するしないに関わらず、一定以上の賛同を得ればそれはメディアになりえるというわけなのです。
それは例えばテレビが(テレビが、という主語も都合のいいものだ・・・)世論を操作しようとしているかどうか?という問題と同じで、この回答はおそらくNoなのです。
それぞれが独立に悪意を持たずして動いたときに情報操作が起こるものがメディアなわけです。
>>1465
簡単に説明するなら「もし盗むやつがいなければ」鍵をかけなくていいのは当然で間違った理論ではないのですが
この「もし盗むやつがいなければ」の前提がそもそもありえないので現実として「盗むやつがいる」ので鍵はかけなければいけません。
「盗むやつが悪い」というのも正しいですが、「盗むやつが悪い」から「盗むやつがいなくなる」わけでもなく、やはり鍵はかけなくてはいけないわけです。
>>1467
本当のレスだって疑うべきですよ?
もちろん工作員乙と書き込むのは低レベルの低レベルですが。
数やレッテルではなく、文章の内容から正当性を判断しましょう。
1486 投稿者: wosa (2007年03月19日 15:02)
任意の意見に対して、疑いつつも「こういう意見もあるのだな」と容認する姿勢が客観性を高めるのではないかなあ。
こう書くと禅問答みたいだけど(笑い)
また、やりすぎるとノンポリになりがちでもあるので、ほどほどの線というのが必要であり、そのほどほどの線がいわゆる個性とかってやつなのだろうか、と思いましたよ。
でかいメディアも痛いニュースも2ちゃんねるも、それぞれが疑いと容認に値すべきいろんな意見なんだな、とか考えると面白いです。
(事実の捏造は容認できないとしても、そこまでして主張したい意見の裏側とかを考察するのは楽しい)
1488 投稿者: sage (2007年03月19日 21:45)
2つの山のスキマが見えるには、ある程度距離を取らないと駄目かもよん。