ITmedia News:mixiでまたチェーン日記 善意が混乱招く
「mixi」で、「mixiユーザーの日本人写真家が、ロサンゼルスで行方不明。情報を提供してほしい」という内容の日記が大量に投稿されている。
(中略)
写真家の日記のコメント欄は応援メッセージで満杯になり、新たな情報提供ができない状態に。混乱を収拾するためか、mixiユーザー全体に公開されていた日記は「友人のみに公開」に制限された。携帯電話番号も広まってしまったため「関係ない人から家族に電話が殺到し、困っている」と、家族と連絡を取ったというmixiユーザーは伝えている。
これにちょっと関連して、折鶴プロジェクトあたりから続く、「善意と正義が失敗する法則」について。
折鶴プロジェクトといえば、ネットの善意が華々しく失敗に終わった活動だったことで有名なところなんだけど、その前似た大きなOFFと言えば湘南ゴミ拾いOFFで、こっちはかなりの成功となっている。
2つを分けるのは善意ではないかな?と思っている。
前者はゴミを拾うという名目で、実のところフジに嫌がらせとアピールをするのが目的だったわけだよね。
これは自分らの利益を追うという行為。
折鶴プロジェクトは、なくなってしまった千羽鶴を補充しよう、平和を祈ろう、というのが目的で、これは利他的な行為であり、善意の活動。
で、どうもこういった善意とか正義の活動がネット上で失敗する例が目に付くなーって。
交通事故を見たことある?
高校生の時だったのだけど、自転車で大通りを下校中に、大きなブレーキ音が聞こえ、見た瞬間に、車道の真ん中で車と別の自転車が衝突事故を起こした。
自転車側は70代くらいのおじいちゃん。
車は小型自動車で若い女の人だった。
事故の原因は、多分、自転車の無理な横断と、車側の軽い余所見が重なったもの。
衝突で、車のフロントガラスには亀裂が入っていていて、クモの巣のようだった。
自転車は一部が見事にひん曲がっていた。おじいちゃんは道路に倒れていた。頭から血を流していて・・・頭から、少しだけ、見えてはいけないものが見えていた。
車から出てきた女の人は完全にパニックだった。通行人は多かったから、すぐに携帯電話で119をする人がいた。ちょうど、近くが薬局だったから白衣を着た人が出てきて対応に当たった。パニックになった女の人はなだめられて、薬局に入っていった。救急車は5分か10分くらいで来た。救急車が来たところでおじいちゃんは意識を取り戻したようで、自分の足で立とうとして、すぐ、救急隊員に担架に寝かせられた。凄く危険な状態だろうけど、多分、最悪の事態ではなかった。
それで、高校生の僕は、きっと自分が何かしなければいけないのだと思って、ずっとその場に立っていた。
、のだけど、何もできなかったし、きっとしなくて正解だったのだろうねー。
その場にいた他の多くの人も、きっと「何かしなくちゃ」と思っていたのだと思う。
1人の主婦が倒れているおじいちゃんに駆け寄って、血を拭いてあげようと思ったのかハンカチを取り出して、すぐに白衣の人に「動かさないで!」と怒られて、すごすごと戻っていったのを見た。
頭を打ってるんだから動かしちゃいけないのは当然だし、きっとその主婦の人もわかっていたのだと思う。
ただ、その場にいたみんなが一歩違えばその主婦のように、本当はやってはいけない、良い結果にならない行為を、善意の元でやりかねない雰囲気だった。
だって事故で、人が、おじいちゃんが血を流して倒れているんだもの!
正義の心って、凄い脅迫的な力があると思う。
本当は僕みたいな高校生は役に立たないんだからさっさとそのまま帰るべきだったはずなのに、ぼーっと立っているだけで、もしかして邪魔になっていたかもしれない。
だからその時の「何かしなきゃいけない」という正義の心って、おじいちゃんのためではなく、自分のためのものなんだなぁとしみじみ思う。
正義を成さなければいけない、という自分の心を満たすためだけの正義なわけだね。
事故っていう特殊なケースを例として出したけど、別にそんな場面ではなくとも、こういう気持ちっていうのは発生する。
「なにかしなくちゃいけない」「いいことをしなくちゃいけない」「誰かのためになりたい」
偽善か善かっていう話ではなく、多くの人間に無意識レベルでこういう感情がある。
それは別に悪いことではないのだけど。
でも問題なのは、こういうことが大抵の場合、理性的ではなくて感情として露出すること。
上のmixiの事件で言えば、行方不明になった人の話を聞いて、「自分も協力しなければ!」と強く思うわけ。
だけどそれはインターネットという場で膨れ上がった結果、情報元の機能を麻痺させ、スパム・マルチと化し、嫌がらせを発生させることになった。
本当なら日記を見た時点で、これはチェーンになるから日記による宣伝ではなく別の方法を考えるべきだ、と気づくべき。最初の日記を作った人もね。
少なくとも彼らは、善意で、行方不明者の家族のためになりたいと思っているのだからねー。
でも無知と、正義とか善意っていうすっごい強い力に引きずられてしまったのです。
はっきり言ってしまえば、善意というのは感情であるし、正義は感情論だ。
別に悪いとは言わないけど、人助けとか活動って、正義とノリだけじゃやってけないわけ。
ゴキブリオフとか、コンセプトからしてもう、そういったノリだけの、失敗することが最初から決まっているような活動だったわけだよね。
まあここまで来ると、そもそも騒ぐのが目的の人が入ってくるんだけど。
(それでも、そういう人は「イイコト」をするOFFにしか出現しないのが不思議なところ。折鶴OFFとか。やっぱり「イイコト」をしたいっていう人なのかな。)
これは炎上にも関係することなんだけど、炎上の1つ1つの情報量がとても少なくて、特に言いたいこともなさそうなのに、どうして同じことばかりをコメント欄に書くのかといえば、「何かしなきゃいけない」という感情が、結構関わってるんじゃないかと思う。
悪がいる、俺たちは正義、1人1人の力を合わせれば、悪をも砕く!(ばーん!)
みたいな感じに、さ。
結局、なんだかんだで情報を深く掘り下げようともしないし、その行動で何が起こるかという予測を立てないし、結果を省みない。
そして善意と正義が先行して、誰にどういう利益をもたらすのが目的なのか?という部分が欠けていることも多い。
自分たちにできること、簡単に正義を味わえることを優先して、最良の手段を選ばないことだってある。
あ、この段落はこれだけでもう言うこと無いw
ゴキブリOFFも、mixiの日記回しも、根本はそういうものだよね。
タマちゃんを救う会、みたいな。
正義は別に悪くないと思う。
社会を維持するためにとっても必要だし、偽善とかも何も無い。
でも、正義だけやってれば、善意だけあれば、上手くいくわけではない・・・とは言っても、活動している人たちはこういう認識をもてないという状態にあるのだけど。
mixiの事件をバカだなーと思ってる人だって、自分の気づかないうちにこの状況に嵌ってること多いんですよ?
だって、何か起こったとき「正義をしなきゃ」っていう感情がみんな生まれるじゃない。
だったら陥る可能性はあるわけですよ。
例えば炎上とか、さ、バッシングとか、さ、最近の善意系OFFとか、もっと言えばボランティアとかやってる人も含めて、自分の行動がどういう結果になるのかをしっかり考えて活動して欲しいっていうのがある。
(なんども訂正書かなきゃいけないのが面倒だけど、決してボランティアが悪いとかそういうことじゃないからね。)
正義の感情が起こった時、それ自体はいいとして、でも実際の活動では
善を成し、愛を持って、正義をかざし、悪を討つ・・・のではなく、情報を集めて議論をし、実情に即して分析し、予測を立てて利益を見積もってほしいなぁ、ということでございます。
コメント
829 投稿者: しっぽ (2006年09月29日 01:16)
まったくの私事ですが、明日から2日間ネットがほぼ使えなくなるため、コメントの返事とかは土曜の夜以降になる予定です。
よろしく。