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2006年07月02日

 存在するモノの法則1。動物が生きようとする理由。このエントリーを含むはてなブックマーク

前のエントリーでミームって単語を教えてもらったり、どうも持論をブログに書くってことはかなり有益なんだということを発見しました。
そこで、簡単で比較的電波じゃない内容から、自分の無学を恥じずに持論の根本を書いてみます。

数回に分けて書くつもりですが、こういうのよく知ってる人には青い話かもしれませんw。
もし、こういう理論は既に誰々が言っていて、こういう風に論破されてるとか、こういう風に議論されてるとか、そういう情報が得られれば僕なりにメリット。
そうじゃなくとも読んだ人がどう思ったか知ることができればいいかなーと。

とりあえず1つの面白話として読んでもらえるようにがんばります。

まず、動物が生きようとするのは何故か?という進化論関係のお話から。

どうして自分が生きてるのか?とか小学生やら中学生にぼんやりと考えたことある人は多いはずです。
みんなそれぞれに答えを持っていたり持っていなかったり、疑問を持たなかったり、そんなこと考えるようじゃ青い青いって人もいると思います。
んで、その疑問に僕が持っている答えで、以後の話の中核になることから。

とある生物のオハナシ

ここにとある生物がいます。
イメージとしてはピクミンみたいな感じかなー。

彼らの住む世界はまったく無慈悲なもので、ある確率でその生物は死んでしまいます。
原因はなんでもいいんですが、偶然落ちてきた石に潰されるとか、外敵がいるとか、病気とか、もしくは老化でもいいですね。

そこで、じゃあこの生物が長い時間を乗り切るためにはどうしたらいいか?ということを考えてみます。
毒をもってるとか、石みたいに硬い殻を持ってるとか、色々考えられるんだけど、
大きく分ければ考えられるのは、どの生物もする2つの方法。
自分が死なないように防御する(生存)
自分を増やす(増殖)
っていうわけですね。

防御は攻撃や治療でもいいです。
自分に害があるものを排除しようとすること。
自分という固体をより長く生きさせようとする発想です。

増殖は早い話、バックアップの数さえあれば1個や2個潰されても平気ーっていう概念ですね。
自分という固体が死んでしまうことを前提とした手段です。
ウイルスとか、微生物はほとんどこっちの手段を使っていますね。

2つの生物のオハナシ

同じ世界にオレンジ色と緑色の2つの生物がいました。
オレンジは自分を守るチカラと増やすチカラを持っていますが、緑は持っていませんでした。
さて、しばらくした後この世界はどうなっているか?


まあ当たり前ですけど、この世界はオレンジが栄え、緑クンは絶滅しちゃいます。
オレンジのせいで死んだのではなく、長い時間のせいで絶滅しちゃったってことですね。事故とか。
逆に考えてみると、
長い時間が経った世界の中に、生存や増殖をしようとしない生物は存在しなくなる。
という風にも言えます。
つまり、極端な話、ところかまわず全員が自殺をしようとする生物は、存在しえないというわけですねー。
もちろん、例外として、今さっきのタイミングでそういう生物が(突然変異とかで)ぽっと出てくれば別でしょうけど。

地球のオハナシ

ここまで語れば分かると思うけど、地球上においてほとんどの生物が、自分の命を大切にしようとし、子供を作ろうとするのは、生物としての使命とか、大いなる神の思し召しとか、生命の威厳とか道徳とか倫理とかとまーったく関係なく、もう自然と絶対にそうなっちゃうんですよ。
(ある意味この必然が使命で神の思し召しで威厳で道徳なのかもしれないですけど)
命を大切にする生物だけが生まれたのではなく、両方生まれても大切にするほうしか残らないわけです

あ、人間はちょっと例外なパターンがあります。
今後のエントリーでは本能と理性の関係とやらも書くつもりです。
(この件はそのときにでも是非ブロッガーの頭のいい人の話を聞いてみたいところです。)

これが複雑な状態になると、巷で一時期話題になった利己的な遺伝子とやらになるのではないかと。
あ、ちなみに僕はまだ読んだことありません。いつか読まないとなーとは思うけど。

キリンの首は何故長い

「高い木にある葉を食べるためだよ」というのは、進化論の厳密な話から言えば間違いです。
「高い木にある葉を食べれたからだよ」というのが、(ら抜き言葉だけど)正しいはずです。

意味の違いわかりますよねー。
キリンの先祖は何も「あの木の葉が欲しい!よし首を長くしよう!」とかひらめいたわけじゃないんですよ。
単純に、首が長いものが生き残ったから首が長い。それだけなんです。

進化も生存も、誰が意図してしていることではない。
僕たち動物が生きようとする理由は何?って質問は、順番が逆なんですよ。
つまり、「生きようとする」動物しか残らないんだから
逆に、「死のうとする」動物はいなくなっちゃうから、
そりゃもう「生きようとする」動物しかいなくなるよね?っていう話なんですよ。
(一見死のうとしたり、子供を残さない生物も、おそらく全体を見たときにその集団自体は生きようと動いていることになるはずです。人間くらい複雑になってくるとバグも出てくるわけなんですが・・・。)
動物が生きようとする理由を挙げるなら「結果」です。

これが、僕のどうして生物は生きようとするのかっていうことへの答えですねー。
なんだ、当たり前じゃないかって思うかもしれないし、逆に、なんだそりゃ、トンデモだと思うかも。

で、実は僕の持論はこの後、これを足がかりに「どうして人を殺してはいけないのか」とか「善悪とは何か」とか「常識って何?」っていうものへの仮説が飛び出してくるんですよー。
社会にこの法則を当てはめて、無機物や現象に当てはめて、とやっていきます。

でもその話は疲れたので、続きは次回~。

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コメント

589   投稿者: しっぽ (2006年07月02日 23:19)

ちなみにこれに変化という要素を取り入れれば進化論になります。

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(サーバーが見つかりませんの表示になることがありますが、
正しく投稿されてることが多いです。
落ち着いて確認してみてください。)

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