« Flash-Clipってどうよ? « » 他ブログ紹介(BlogPet) »

2006年05月15日

 失ったものを取り戻すのは、ハードかソフトか。このエントリーを含むはてなブックマーク

【特別インタビュー】「失ったものを取り戻したい」---任天堂岩田社長が「Wii」に込めた想い:ITpro

こんな記事を読みました。
いやー、やっぱ任天堂はすごいね。

僕は元々任天堂、というかHAL研大好き人間でして、作るゲームもかなり任天堂路線に影響を受けたものばかりだったりします。
その任天堂の大好きな面は、こういうところです。やっぱり頭いい人は違うなぁと思いますね。

そもそも最近「ゲームは映像ばかりに力を入れて何をやってるんだ!」ってなことを感じている人は多かったと思います。
大切なのはゲーム性。なんでゲームの現場の人はそれに気づかないんだ!
とは言いますが、実際のところ僕らよりもゲームのプロな彼らはそれに十分気づいていたと思う。

じゃあなんでそれをしなかったのかというと、しなかったというよりできなかったんじゃないかなーと。
まず第一にゲームシステムって言ってもまずこれが無理な話。
昔のファミコンかその前の時代なら、ちょっと新しいゲームシステムを作っただけで「画期的だ!」と大騒ぎされれ、今でも昔はすばらしいゲームシステムが作られ~と語られるわけだけど、実際そのゲームシステムと同程度のものを現状で作っても、大して売れないと思う。
落ちものの画期的システムと言われたメテオスが、確かに評価は高いが売り上げは伸び悩んだところからしても実際そうなんじゃないかなと言える。
そもそも 新しいアイデア≠面白い だしね。
ジャンルを新設しても、既に成長しきった既存ジャンルと戦えるとは思わないし、ユーザーもそれほど冒険して購入してくれなくなっている。

第二に、結局ユーザーのせいでもある。
なんだかんだ言って、ユーザーは画面が綺麗なの買う。
逆を言えば画面が綺麗じゃないのは買わない。
綺麗じゃないってのは雰囲気が無いというか、たとえば「塊魂」的なかわいい(変な?)デザインとかはぜんぜんOKなんだけど、それはそういうゲームデザインだからできるものであって、シリアスなRPGだったらやっぱりスクエア並の映像システムが必要になる。
それに出るか出ないかわからないアイデアと違って、映像ってのはお金をかければ純粋に綺麗になるし、そういう土台をハードが用意してて他がどんどんやるものだから、こっちもやらなきゃ追いつけないで大変なことになる。

まあこんな感じで、ゲーム作る人も大変だなぁっていう時代なわけですよ。

で、ソニーとかXboxとかはこれに対してさらに映像とか動作とかできるようにしてすごいゲームを作ってくれ!とソフト側へ投げている。
実際問題、たとえば「塊魂」のあの巻き込みシステムはすっごい処理がかかるもので、PS2の処理速度が無ければ実現しなかったゲームでもあるし、そういう意味ではハードのスペック向上が新しいゲームシステムを切り開く可能性はある。
ところが任天堂はソフト会社に任せるのではなく、自分たちでハードの段階から新しいゲームシステムを提案しているわけなんです。
「脳を鍛える~」っていうゲームはやっぱりあのタッチペンシステムが無ければやっていけないものだし、「動物の森」も地味だけどDSの通信機能が大きく関わってくる。
ソニーが「ほら、これだけ広い部屋を用意した、なんかやれ」って言うのに対して任天堂は「面白い道具を色々用意しました、こんなのとかもできます。」という提案なわけです。
そりゃー任天堂の大勝利じゃないかなと思います。
もちろんPS3にも魅力的なソフトはいっぱい出てくると思いますけどね。

インタビュー記事の中にあった話で

他社さんは,新しい半導体技術を使ってより高いクロック周波数で,より高性能な処理ができるという方向でゲーム機を開発している。私は逆に,より進んだ技術を使えば消費電力を下げられると考える。

これなんかまさに、余った大量の液晶を使ってゲームウォッチを安く作り出した任天堂精神。
何も逆転の発想ではなく、任天堂の任天堂たる発想だなぁと感じる。

コメント

56   投稿者: |・ミ (2006年05月15日 17:34)

技術は、発想を形にするために必要なんだと思いました。
ニンテンドーDSにおいて、斬新なアイデアを持ったゲームは確かに多く生まれている。しかし、これってニンテンドーDSが二画面タッチパネルというインタフェースを採用した事により、出来なかった事が出来るようになったに過ぎないんですよね。もちろん、ニンテンドーDSのインタフェースを目の当たりにした開発者が、斬新なアイデアを思いつく事もあると思います。でも、ゲームとしての面白さを追求した時に、例えば二画面使えるのと一画面しか使えないのでは、可能性に大きな開きがあると思います。

PS3の高性能も、有効に活用できれば確かにゲームの可能性を広げてはくれるでしょう。
ただ、PS3がその処理能力から画面を綺麗にしたりたくさんのオブジェクトを表示したりしたとして、ユーザーがそれについていけるのか。ユーザーはあくまで人間である以上、ユーザーが処理できる情報量には限りがあるわけで、PS3の能力でどれだけ緻密なゲーム世界を作り上げた所、ユーザーはその膨大な情報量の大半を捨ててしまうに過ぎないのではないか。

ゲーム機は当たり前の事ができれば十分だと思います。コンピューターRPGは元々人間が手で攻撃力とかダメージとかの計算をしていたのをコンピューターに任せようという考えから生まれましたが、最近のRPGはそのゲームシステムを理解するだけで大変。人間の手に負えないゲームシステムから、果たして面白さを感じとる事ができるのでしょうか。


>じゃあなんでそれをしなかったのかというと、しなかったというよりできなかったんじゃないかなーと。

個人的には、『売らなければならなかった』時点でFF12は自らの可能性を殺してしまったとともに、ゲーム業界全体の可能性の多くを失わせてしまったと思います。
売れる売れないで評価されてしまう商用ゲームは、売る方向に走ればゲームとしての中身はそれほど問題にならなくなってしまう。FF12の販促活動も、ゲームシステムや世界観が宣伝されたというよりは、映像の宣伝とかFFブランド自体の宣伝(私はポーションを飲んだ事ないです。)に走ってしまっていた。
結果多くのライトユーザーは、とりあえず目の前にあるFFだけプレイして、その内の何割かは、例えばメテオスみたいにプレイヤーの評価が高いゲームの存在を知る事なく、そのままゲームを離れてしまう。
売る事が目的になってしまっている以上、ゲームの中身の面白さという観点からゲームが評価される事は難しくなっていくのでしょうか…。
ただ、『可能性を失っていた』という点では、ニンテンドーDSの二画面タッチパネルを無理矢理使ってみました的なサードパーティ製のソフトも、似たようなものだとは思いますが。

蛇足ですが、任天堂は世界観重視のゲームも結構出してると思います。ポケモンだってそうじゃない。
『世界観を表現するためのゲームシステム』という考え方は結構好きです。

57   投稿者: しっぽ (2006年05月15日 22:57)

僕の周囲ではFF12の評価はいいんですけどね、あの戦闘システムとか。
売らなければならないのは昔からであって、その売れる方法を決定しているのはメーカーではなくユーザーですね。
一応自由競争市場なので。
ですから結局ユーザーが映像美を求めている時点でこうなるんだと思います。
ライトでもヘビーでもなく一般ユーザーがね。

世界観はお金のかかる世界観とかからない世界観があるわけで、というか文中で使われている世界観の話とはまた違ってくるので、うーん、なんか伝わってないかな。
任天堂の世界観は昔からすごいですよ、マザーとか、ゼルダとか、ね。
でもそれはFFとは質の違うものなんです。

58   投稿者: |・ミ (2006年05月16日 06:55)

コメントへのレスをありがとうございます。
ゲーム性を求めるユーザーもいないわけではないが、
映像美を求めるユーザーに応えた方が企業としては成立しやすいって事になるのでしょうかね。
結局みんな映像が汚いよりきれいな方を好むわけで。
単純な尺度で評価できないゲーム性をアピールするのは、なかなか大変だな、と。

私はコメント中でFF12に限定した話をしました。
FF10には明確なテーマ性があって、種々のゲームシステムがそのテーマの表現を助けていたのですが、
FF12にあっただろうテーマ性をユーザーが気付くのは難しかったかな、と。
FF10を作るためにお金をかけるのはそれがゲーム業界にとって良いかどうかはともかく、素晴らしい事だと思いますよ。

『世界観』という言葉はむしろ『制作者の人生観』といったような意図で、いわゆる『世界設定』とは違った意味合いで使ってみたんですが、…うーん…ブログ持とうかな…?

59   投稿者: BlogPetの麦茶 (2006年05月17日 09:10)

きょうは、任天堂は岩田まで面みたいな影響する?

コメントする

(サーバーが見つかりませんの表示になることがありますが、
正しく投稿されてることが多いです。
落ち着いて確認してみてください。)

はてなブックマーク